羊と羊肉の歴史2・明治維新・戦争と羊その1

[これまでの記事]
羊と羊肉の歴史1・日本渡来編その1
羊と羊肉の歴史1・日本渡来編その2

前回は、推古~江戸時代までの羊の歴史をまとめました。本当にこの時代は情報がなく、羊はあくまで「日本にはいない珍しい動物だけのあまり話題にならない」物だったのでしょう。そして、羊は「献上品」「珍しい見世物」「知らない動物」の段階を経て、「毛織物を作るための素材」としての歴史が始まります。その流れは明治維新を迎ええますます強くなります。それは、海外と戦う軍服の材料として羊毛は必須だったからです。明治期の羊の歴史も「肉」より「毛」の歴史です。そして、戦争と羊の歴史でもあるのです。

■明治維新と戦略物資としての羊

テスト飼育の段階だった江戸も終わり明治維新を迎え、羊はここで一気に注目を集めます。まさに羊維新!文明開化で洋服の需要が出てきたこと(この時代の洋服は基本毛織物だった)。明治政府の富国強兵政策により、寒冷地での戦闘が発生する可能性が出てきた事などが注目の要因です。ここでも、羊は肉と言うよりは「戦略物資の羊毛を作る家畜」的な扱い。羊肉の夜明けはまだまだでした。

明治政府は毛織物で軍服を作るため、羊毛や毛織物の輸入をはじめます。しかし同時に大きな懸念が出てきました。輸入に頼った防寒具では、敵国の戦略などで、もし輸入が止まった場合、日本軍は木綿や麻など防寒性が低い日本国内の原料で作れる軍服で氷点下数十度まで下がる大陸などの寒冷地で戦わなければならなくなります。当時の仮想敵国は清国やロシアなどで、日本の考える予定戦場は寒冷地でした。当時は保温力が強く水分が染み込まない丈夫な布は毛織物しかありません。そこで明治政府は緊急の課題として「羊毛の国産化」を考え始めます。

このように、羊は戦争をするのに必要な物資とし、世界のパワーバランスなどに左右される非常に大事な「戦略物資」でした。

明治2年頃より始まったこの流れは、1874年(明治7年)に東京の青山にサウスダウン種が50頭導入され本格的な取り組みがスタート。私のイメージだと、サウスダウンは肉がうまいと有名なので、毛織物のために導入されたと聞いて少し驚きました。ほぼ同時期にスパニッシュメリノ種も導入されたそうです。それにしても、今はおしゃれなイメージが強い青山も、明治時代は牧場をつくつるほど、のどかだったとは、まさに隔世の感があります。

1875年(明治8年)には下総国三里塚(今の成田空港周辺)にて御料牧場を開設し3000頭の羊を輸入しました。しかし政府の努力もむなしく、この関東での羊量産計画は失敗してしまいます。この計画を主導していた大久保利通が明治11年に暗殺されたことが原因と言われていますが、高温多湿の関東平野は羊の飼育に適さなかったのが大きな原因ではないかと考えます。羊は今でも国内で飼育するとき、地域により、飼育方法を変えたりするほど繊細な生き物ですので、飼育経験がない日本人では指導があったにせよ、手に負えなかったのではないかと。

三里塚御料牧場は明治21年まではどうにか続いたのですが、結局農地は宮内庁の所管となります。ちなみに、成田空港が三里塚に作られた理由がこの御料牧場の広大な土地があったためです。2020年3月に閉店しましたが「緬羊会館」というジンギスカン店が成田市にあったのも、これが理由です。

※緬羊会館は三里塚の綿羊飼育者の団体でしたが、羊の飼育をやめた後も「三里塚で羊を飼っていた!」記憶を伝えるために、元の組合の倉庫を改造して始めたことがスタートだそうです。私が以前食べに行ったときにお聞きしました。(参考記事:https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/268936


▲三里塚緬羊会館

関東圏以外では、北海道で1876年(明治9年)に畜産業の開拓指導を行っていたエドウイン・ダンにより札幌西部に牧羊場が作られ羊の飼育実験が行われました。しかし、こちらでの飼育実験もあまりうまくいかなかったようです。こちらも、どうも日本の気候風土とヨーロッパの気候風土の違いによるところが大きかったのではないかと思います。

同じ頃、民間でも岩手県を皮切りに様々な場所で数百頭規模の牧場が開かれましたが、日本の羊毛の質は低く買取価格も安かったせいもあり、こちらも政府の奨励政策の終了とともに下火になっていきました。これらの施策を見て思う事は、政府が思うほど羊の飼育や繁殖は簡単ではなかった・・・・という事でしょう。

他国では、羊は羊毛だけではなく、肉も骨もすべて資源として使用します。それら、牧畜後進国として羊毛だけフォーカスしその他の技術が伴わず、飼ってもなかなか利益になりにくいところは、現在の日本の羊飼育の環境に近いと感じます。(最近になり、羊全体を使う取り組みも多く行われるようになりました)

これらの羊飼育初期の失敗は羊の飼育技術が日本向けにローカライズされていなかったことが原因であり、畜産文化がない所へ、畜産を部分輸入してもうまく行かない事の証明でもありました。これよりしばらく羊飼育は大きな進歩もせずほそぼそと続けられるにとどまりました。

次回は、時代は明治に移り、羊が国策や富国強兵の文脈にのり始めた時代をまとめていきます。ご期待ください。


■巻末付録 近代の羊肉の動き 年表

  • 1868年 明治維新以降明治政府は「綿羊飼養奨励」政策
  • 1894〜95年 日清戦争
  • 1904〜05年 日露戦
  • 1908年 月寒種牧場に於いて綿羊の飼養を始める 政府「綿羊100万頭計画」:熊本・北条・友部・月寒・滝川の5ヶ所に種羊牧場開設
  • 1914〜18年 第一次大戦
  • 1922年 政府が羊肉商に補助金交付
  • 1924年 東京・福岡・熊本・札幌の4食肉商を「指定食肉商」に
  • 1929年 世界恐慌勃発により計画中止
  • 1928~29年 農林省が全国で羊肉料理講習会を開催
  • 1930年 満州事変
  • 1936年 日豪紛争により豪州からの輸入停止。政府は満州での羊毛増産図る
  • 1939年 羊毛供出割り当開始
  • 1941〜45年 第2次世界大戦
  • 1950年 朝鮮戦争による羊毛需要の綿羊飼養熱低下
  • 1957年 食肉加工品の原料として使用。需要は10万頭/年に増加
  • 1960年 ジンギスカンとしての需要が始まる。国産羊肉生産量が過去最高の2,712トンを記録
  • 1962年 羊毛の輸入自由化により綿羊の飼養頭数は減少
  • 1977年 この頃から使用目的が羊毛生産から羊肉生産に転化
  •  
    提供:東洋肉店(URL:http://www.29notoyo.co.jp/

    ※参考資料など
    国立歴史民俗博物館研究部民族研究系の川村清志先生の公演時の小冊子、畜産技術協会のHP、また、魚柄仁之助さんの「刺し身とジンギスカン:捏造と熱望の日本食」、ジンギスカン応援隊、綿羊会館が以前に出し担当者さんからいただいた資料、Wikipediaの羊の項目、探検コムさん、近代食文化研究会さんなどを参考にしています。その他、各輸入商社さんや大使館などが出しているパンフレット情報などが参考になっています。古典解釈は小笠原強(専修大学文学部助教)先生にご協力いただきました。
    また、東洋肉店さん初め多くの方に内容を確認いただきました。その他、羊飼いさんから聞いた話、羊仲間たちからの知識、どこかで読んだ知識などがまとまっています。羊に関わる皆様の知識を素人が、素人向けにまとめさせてもらいました。いろいろなお店の方との羊の雑談などもベースになっております。皆さまありがとうございました!

    この記事を書いた人

    ラムバサダー 菊池 一弘

    羊肉の消費者団体、羊齧協会創業者にして主席(代表)。
    羊肉料理を素人がおいしく楽しく食べられる環境作りを行うべく、多種多様な羊肉普及のためのイベントを行う。
    詳しいプロフィールはこちらから。

    こちらもおすすめ