羊と羊肉の歴史3・ちょっと脱線!ジンギスカンはどこから来たのか?

[これまでの記事]
・羊と羊肉の歴史1・日本渡来編その1その2
・羊と羊肉の歴史2・明治維新・戦争と羊その1その2 緬羊100万頭計画始動!
・羊と羊肉の歴史3・羊毛から羊肉へ! 戦争から平和へその1

今回は、前回少し触れたジンギスカンについてです。

羊肉話をしていると必ず「ジンギスカンって何?」という疑問が出ます。このあたり研究されている方もいらっしゃるので詳細はそちらに譲り、ここでは簡単にまとめてみました。ちなみに「ジンギスカンの定義」については、こちらに私見をまとめていますので、ご参考までに。

さて、では本題。
ジンギスカンは日本独自の世界に誇る羊肉料理で、北海道遺産にも登録されています。北海道遺産にも関わらず、海外の英雄の名前を冠し、多くは海外産の羊肉を使うにも関わらず(日本の羊肉の99%は輸入肉であるから)文化遺産というグローバルだけれども、良い意味でローカリゼーションされた珍しい料理です。日本人の食に対するおおらかさと大陸や草原への憧れが込められた素敵な名前であり、また醤油ベースのタレが多いなど非常に日本的な料理でもあります。

このジンギスカンの歴史は、大体大正時代ごろから始まる比較的新しい料理なのですが、研究されている方もいらっしゃるぐらい深い話題です。ここはざっくりと要約し、私が北京に4年住んでいた経験なども入れてまとめますと、その元は、北京の伝統的な羊肉の焼き肉「烤羊肉(カオヤンロウ)」だと考えられます。

平らな鍋(鉄板系の場合もあるし、隙間がある鉄板と網の中間のような鍋もある、日本のジンギスカン鍋のスリットありとなしを連想してしまう)に醤油ベースで味付けした羊肉のスライスに玉ねぎやパクチーを入れた物を焼く料理で、日本の味付ジンギスカンを思わせます。もともと屋外でやっていたとの事です。

こちらの料理は北京では「モンゴル式」と呼んだりするので、日本で「ジンギスカン」と呼ぶのも、間違いではありません。
日本にいつ来たかと言うと、中国大陸との行き来が多かった戦前に、餃子や拉麺(ラーメン)などの料理とともに、日本に入り込んだようです。北杜夫の小説楡家の人びとに昭和初期の描写として「中華料理屋でジンギスカン料理を食べた」と言う描写がありました(異様な臭気が鼻を突き・・・とか書かれていた)し、小説や文章で見かけることも多いので、「大陸の香りがする珍しい料理」との扱いでした。

一部、羊の串焼き(羊肉串)がジンギスカンのベースと書いている場合もありますし、チンギスハーンの遠征の時の料理という記述もありますが、北京に4年住んでいた私としては「烤羊肉」というと鉄板の上で味付きの羊スライスと野菜などを焼く料理のほうがジンギスカンになったという方が自然かなと考えます。そもそも、ジンギスカンの特徴は「薄切りの肉」だと思います。串焼はぶつ切りだし、モンゴル人は薄切りにしたり、焼いたりせず茹でるのが中華料理的技法が入る前の伝統的な食べ方です。

この「烤羊肉」の有名店は「烤肉季(カオロウジ)」。紫禁城の裏辺りに店舗があり、清朝の道光28年(1848年)の創業の老舗です。こちら私も訪れた事があります。正陽楼という店も戦前の日本人の記録の中で見かけますが、すでに無いとのこと(こちらは野外で行う網焼きだったようです)。

「烤羊肉」。 七輪にかけた鋳鉄の上で、タレに漬けこまれ羊肉と野菜を焼く。鍋は平らですが、味付ジンギスカンを連想します。

ジンギスカンの発祥は諸説が入り乱れており、東京高円寺に昭和11年にあった「成吉思荘(ジンギスそう)」である説と、札幌の横綱というおでん屋だったという説があったりとなかなか面白いです。もし、高円寺が発祥だったとしたら「ジンギスカンの発祥は杉並区」となってしまいます。これ以外に、岩手県遠野市や千葉県の三里塚などジンギスカンの発祥を名乗る地域は結構あります。羊を飼育する地域で余った肉をスライスし身近にあった醤油味で焼くことは自然な流れなので、家庭レベルだと同時多発的にジンギスカンの元は出来ていたのじゃないか??とも。

北海道でジンギスカンが北海道の料理として定着したのが、松尾ジンギスカンが肉の販売と共に鍋のレンタルを始め、ベルのタレも同じく鍋のレンタルを始めたことで徐々に認知が広まり、そのスタイルが定着したことが遠因と言われています。
また、ジンギスカン鍋で羊肉の薄切りを焼くスタイルをジンギスカンと呼ぶ場合と、羊料理全体をジンギスカンと呼ぶ場合などもあり、そのあたり定義のあいまいさも発祥論が話される原因かなとも。ここでは何処が発祥!論は不毛なのでこのぐらいにしておきます。

この「ジンギスカン」という名前ですが、満州鉄道株式会社の調査部長であった駒井徳三という人であるという説。北京の邦人向け雑誌が発祥説など、こちらもいろいろな説があるそうです。しかし共通することは、すべてが大正期から始まっており、他の料理と比べるとやはり新しい料理であるという事がわかります。

ジンギスカンの発祥と、名前について簡単にまとめてみました。誰が名前をつけたか? どこで生まれたか? はっきりとした事はわかりませんが、手軽さとみんなで鍋を囲んでワイワイと食べるこの「ジンギスカン」という料理が今後も日本を代表する羊肉料理であることは間違いありません。羊肉の普及とともに、ジンギスカンもどんどん進化しており、大正生まれだけど日々進化している料理でもあるのです。


▲1955年(昭和30年)にローカル(名寄)新聞に掲載されたジンギスカン。
提供:東洋肉店

■次回は・・・・

今回は脱線してジンギスカンについてお話ししましたが、次回はよく聞く「〇次ブーム」について、考察してみます。

■巻末付録 近代の羊肉の動き 年表

  • 1868年 明治維新以降明治政府は「綿羊飼養奨励」政策
  • 1894〜95年 日清戦争
  • 1904〜05年 日露戦
  • 1908年 月寒種牧場に於いて綿羊の飼養を始める 政府「綿羊100万頭計画」:熊本・北条・友部・月寒・滝川の5ヶ所に種羊牧場開設
  • 1914〜18年 第一次大戦
  • 1922年 政府が羊肉商に補助金交付
  • 1924年 東京・福岡・熊本・札幌の4食肉商を「指定食肉商」に
  • 1929年 世界恐慌勃発により計画中止
  • 1928~29年 農林省が全国で羊肉料理講習会を開催
  • 1930年 満州事変
  • 1936年 日豪紛争により豪州からの輸入停止。政府は満州での羊毛増産図る
  • 1939年 羊毛供出割り当開始
  • 1941〜45年 第2次世界大戦
  • 1950年 朝鮮戦争による羊毛需要の綿羊飼養熱低下
  • 1957年 食肉加工品の原料として使用。需要は10万頭/年に増加
  • 1960年 ジンギスカンとしての需要が始まる。国産羊肉生産量が過去最高の2,712トンを記録
  • 1962年 羊毛の輸入自由化により綿羊の飼養頭数は減少
  • 1977年 この頃から使用目的が羊毛生産から羊肉生産に転化
  • 提供:東洋肉店

    ※参考資料など
    国立歴史民俗博物館研究部民族研究系の川村清志先生の公演時の小冊子、畜産技術協会のHP、また、魚柄仁之助さんの「刺し身とジンギスカン:捏造と熱望の日本食」、MLA豪州食肉家畜生産者事業団ジンギスカン応援隊、綿羊会館が以前に出し担当者さんからいただいた資料、Wikipediaの羊の項目、探検コムさん、近代食文化研究会さんなどが参考になっています。
    古典解釈は小笠原強(専修大学文学部助教)先生にご協力いただきました。また、東洋肉店さん初め多くの方に内容を確認いただきました。
    その他、羊飼いさんから聞いた話、羊仲間たちからの知識、どこかで読んだ知識などがまとまっています。羊に関わる皆様の知識を素人が、素人向けにまとめさせてもらいました。いろいろなお店の方との羊の雑談などもベースになっております。皆さまありがとうございました!

    この記事を書いた人

    ラムバサダー 菊池 一弘

    羊肉の消費者団体、羊齧協会創業者にして主席(代表)。
    羊肉料理を素人がおいしく楽しく食べられる環境作りを行うべく、多種多様な羊肉普及のためのイベントを行う。
    詳しいプロフィールはこちらから。

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