[これまでの記事]
・羊と羊肉の歴史1・日本渡来編その1、その2
・羊と羊肉の歴史2・明治維新・戦争と羊その1、その2 緬羊100万頭計画始動!
・羊と羊肉の歴史3・羊毛から羊肉へ! 戦争から平和へその1、番外編
以前ほど聞かなくなりましたが、「今羊肉は第三次ブームと言われていて・・・」と取り上げるメディアが少し前は多かったですね。取材を受けてて「いつまでブームって切口使うんだろう」と不思議に思っていましたが、いまだにたまに聞かれます。
今回はそのブーム分けについてお話しします。この用語だれが作ったんだろうと思い調べたのですが、どうも私がかなり昔に雑誌社のインタビューで話したのがスタートらしいです(もしかしたら誰かの会話を聞いていてそれを話したかもですが)、最近ジャーナリストの方も「羊の第二次ブームは……」などと記事を書き始めており、そこまで考えないで話し始めたことなので非常に責任を感じています(どこかで読んだものなら、感じ損)。
そこで、言い出しっぺの責任を果たすべく、自分なりに今まで話したことをまとめてみました。羊ブームと言いつつ、実はブームとくくれる物ではなかったりする場合もあるので。
あくまでざっくりとした流れで、資料に基づいている部分もありますが肉屋さん・羊飼い・流通業の方・先生・お店の方・一般消費者など、ここ10年ぐらい多くの人の話などを元に感覚的に理解していることもあるので、学術論的なものではなく、あくまで主観的な要約として見て頂ければと思います。
【第一次ブーム】北海道からジンギスカン認知拡大
昭和37年の羊肉の輸入自由化で安価な冷凍肉が日本に大量に輸入されます。この時期、北海道に検疫所があった関係と、もともと羊肉を食べる習慣が地元にあったので、羊肉は主に北海道へ送られていました。
この当時、畜肉の中では羊肉が最も安かったのです。輸入自由化は羊毛にもおよび、羊毛目的で飼われていた羊も採算が取れなくなり、一気に食用に回されます。輸入品と国産品が一気に出回り、羊肉は安い食肉として北海道を中心に広まっていきます。
かの有名なサッポロビール園が時を同じくしてオープン(昭和41年)。生ビール飲み放題・ジンギスカン食べ放題で1000円。まだまだ食肉の価値が高かったこの時期に、この価格は衝撃的だったでしょう。
そして、昭和31年に開業したマツオ(旧松尾羊肉株式会社)の味付ジンギスカンの開発とチェーン展開。同じく昭和31年に発売されたベル食品の「成吉思汗のたれ」発売もジンギスカンを北海道の食文化の一つとして根付かせる一端を担いました。
この時期は空前の北海道観光ブーム。多くの日本人が北海道でジンギスカンを食べ「北海道名物にジンギスカンがある」と認知が広まり、羊肉を食べなかった日本人の間に、ジンギスカンという羊料理の名前が広く広がったのです。ちなみにこれはブームといっていますが、認知の拡大ですので終焉などはありません。あくまで、ブームという俗っぽい分類で分けているだけです。
▲1952年オープンのジンギスカン店。初期のジンギスカンの面影を残します。
【第二次ブーム】企業主導ジンギスカンブーム
こちらはわかりやすいブームで、経験してる人が多いはず。大体2004年ぐらいからスタートしたブームでBSE(狂牛病)問題でBSE発生国の牛肉の輸入が止まり、全国の焼肉店が大パニックになりました。七輪やコンロ、焼き台はあるのに提供していた牛肉が手に入らない!そこで注目されたのが焼肉とオペレーションが同じジンギスカンです。
全国の焼肉店がジンギスカン店に看板を変え、またその流れにあやかろうと多くの企業がジンギスカン店をオープンさせました。この時の羊肉は、牛肉の代替肉として人身御供よろしく期せずしていきなり注目されました。つまり業界が意図的に世間に羊肉を注目させた企業主導のブームです。この頃は羊肉といっても日本人はあまりイメージがつきにくかったので、羊肉ではなく「ジンギスカンブーム」として広がっていきました。
毎日メディアでジンギスカンが取り上げられ、店舗数も激増しました。まだTVなどのメディアが強い時期で、多くの人が良くわからずにメディアが紹介したお店に並びました。
しかし、牛肉の輸入が再開し羊肉をPRする理由がなくなった途端、一気に熱も冷め激増したジンギスカンのお店も軒並みクローズ。このブームは流行っているからと適当な羊肉料理を出し、羊嫌いを量産してしまった側面もありますが、ブーム前と比べてジンギスカン店が終了後も一定数を維持し、マイナーな料理だったジンギスカンを聞いたことがあるものにした功績は大きいと思います。このときオープンし未だに営業している名店も結構ありますし、今まで続く名店も多く生まれました。また、このとき話題となった「Lカルニチンで太らない!」的な切り口も「煙もくもくのお店でおじさんがビール飲みながら食べる料理」というイメージを壊し、ジンギスカンを女性まで広めた機会でもありました。
▲ジンギスカンが一般化したのが第二次ブームといえる。
【ゼロ次ブーム的な物もありました】
こちら、以前説明した「内務省や陸軍が防寒着の材料として羊を普及させようとしていた」時期は、羊肉が紹介され始めた走りで、官製ブームと呼べばよいのでしょうか?よくわからない食肉であった羊肉を日本の家庭に入れようとPRを行った時期でした。内務省主催の羊を食べる会が代々木公園で開かれたりしていて、私が開催している羊フェスタの走りはこれだと勝手に思っています(笑)こちら、「官吏笛吹けども民踊らず」的にブーム化はしませんでしたが、ゼロ次ブーム(仮)として一応記録しておきます。
さあ、次回はまさに今の3次ブームの解説です。3次ブームとは何なのかについて最新情報を入れつつ見直していきましょう。
■巻末付録 近代の羊肉の動き 年表
提供:東洋肉店
※参考資料など
国立歴史民俗博物館研究部民族研究系の川村清志先生の公演時の小冊子、畜産技術協会のHP、また、魚柄仁之助さんの「刺し身とジンギスカン:捏造と熱望の日本食」、MLA豪州食肉家畜生産者事業団、ジンギスカン応援隊、綿羊会館が以前に出し担当者さんからいただいた資料、Wikipediaの羊の項目、探検コムさん、近代食文化研究会さんなどを参考にしています。
その他、各輸入商社さんや大使館などが出しているパンフレット情報などが参考になっています。古典解釈は小笠原強(専修大学文学部助教)先生にご協力いただきました。また、東洋肉店さん初め多くの方に内容を確認いただきました。その他、羊飼いさんから聞いた話、羊仲間たちからの知識、どこかで読んだ知識などがまとまっています。羊に関わる皆様の知識を素人が、素人向けにまとめさせてもらいました。いろいろなお店の方との羊の雑談などもベースになっております。皆さまありがとうございました!
この記事を書いた人
ラムバサダー 菊池 一弘
羊肉の消費者団体、羊齧協会創業者にして主席(代表)。
羊肉料理を素人がおいしく楽しく食べられる環境作りを行うべく、多種多様な羊肉普及のためのイベントを行う。
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